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境内のご案内
明治42年本殿・幣殿を新築、拝殿を改築し、神苑を拡張して現在の社地の景観を整えました。平成6年(1994)には創建百年記念奉告祭を斎行して今日に至っています。現在、神社本庁別表神社。(別表神社は神奈川県では稲毛神社〈川崎〉、伊勢山皇大神宮〈横浜〉、鶴岡八幡宮〈鎌倉〉、寒川神社〈寒川町〉、江島神社〈藤沢〉、平塚八幡宮〈平塚〉、箱根神社〈箱根町〉、大山阿夫利神社〈伊勢原〉、報徳二宮神社〈小田原〉の9社。)
社殿は神明造り(神社建築の一様式)。なお、拝殿礎石は天保の大飢饉の際、藩主大久保翁の命により尊徳翁が小田原城内の米蔵を開き、こめが人々の手に渡ったことにより小田原11万石の領内から一人の餓死者も出さずにすんだという、その米蔵の礎石が用いられています。
結婚式などで御社殿が使えないときでも、こちらで御祈願が受けられます。
元は、宝物殿として使われており、納められていた物は報徳博物館に展示されています。
こちらで御祈願の受付をいたしております。
お札、お守り、金次郎少年像、関連書籍のお頒ち をしております。
お水とりの方もこちらにお申し出ください。
"薪を背負って歩きながら本を読む"金次郎の姿が初めて登場したのは明治24年(1891)に出版された幸田露伴の『二宮尊徳翁』という本の挿絵でした。当神社にある少年像は昭和3年、昭和天皇即位御大 礼記念として神戸の中村直吉氏より寄進されたブロンズ像。製作者は三代目慶寺丹長。これと同じ像は、全国の小学校に向けて約一千体制作されましたが、戦時中全て供出に遇い、現在残っているのは、この一体だけです。尚、この像は当時のメートル法普及の意図を反映してちょうど1メートルの高さに制作されています。
「あらそいの なき世づくりを 話あいて 譲るは 神に通ふ道なり」
生涯を報徳道の研究、実践、宣揚に努めた佐々井信太郎翁の遺徳を称え、神苑の一角に歌碑を建立し、後世に伝えています。
福住正兄翁は御祭神の四高弟の一人で、当神社創建の中心人物であります。箱根湯本の老舗旅館「福住」の主人でもあった正兄は、尊徳翁の教えを忠実に実践し、報徳の思想を後世に伝えました。大正五年、功績を末永く伝えるために、ゆかり深い当神社神苑に記念碑を建立しました。
たくさんの錦鯉が気持ちよさそうに泳いでいます。授与所にて、鯉のえさの販売もしておりますので、どうぞお気軽にお求めくださいませ。(冬季はございません)





